昭和45年には新工場が完成し、地元の総合スーパーへの出店も進みます。またヒット商品も生まれ、カメヤが成長を遂げた年でした。
昭和48年3月、2代目社長に37歳の亀谷健が就任し、それに伴い亀谷平一は会長に就任しました。この年も総合スーパーに漬物専門店を出店し、販路の拡充を図ります。
そんな店舗の拡大路線のさなか、この年10月に第一次オイルショックが起こります。
OPECによる原油の大幅な引き上げが行われ、国際原油価格が3か月で約4倍に高騰。物価が急上昇しました。
日本も例外ではなく大幅な打撃を受け、石油関連製品として紙製品も高騰。包装紙や紙袋も価格の改訂が相次ぎ、カメヤもその打撃を受けました。
この危機に、経営手腕が問われた2代目社長は、次々に手を打ちます。まずは、現有の経営資源を有効に使うことを考え、余剰人員の配置転換を行いました。次に仕入れの見直し、更には商品の絞り込みを進め、見事にこの厳しい時代を乗り切ります。
その甲斐あって、昭和50年には資本金を1800万に増資し、社員も70名に増えました。
当時、カメヤは観光土産と漬物専門店を中心に事業を拡大していましたが、次の一手として地元の方が「お遣いもの」として利用できるよう、手土産とギフトに力を入れます。
そして昭和51年、創業時の家屋を改装し、手土産とギフトのお店「カメヤ本店」を開店しました。カメヤ本店では「お遣いもの」で使い易いよう、詰め合わせ商品の充実を図り、わさび漬けの量り売り、地元の新鮮な素材を使った商品も売り出しました。