水とつくる伊豆の暮らし

カメヤの歩み

第1話 カメヤの始まり

昭和22年3月、創業者の亀谷平一(かめがいへいいち)とその妻登志(とし)は、静岡県駿東郡清水村において、建坪15㎡の小さな食品加工所を夫婦二人三脚で始めました。 

当地清水村新宿には、米麴・麦麹の製造場が10軒ほど軒を並べ、麴処として有名な場所でした。 

その当時はどの家でも味噌は手前で作ることが多く、味噌製造のもととなる麹はひっぱりだこだったのです。 

カメヤ食品製造所も麹を分けてもらい、金山寺味噌を造って近隣の食品店に卸すのが商いの始まりでした。平一は元々学校の先生で、非常に真面目な性格でした。そのおかげか人柄が認められ、信用されるようになり、商いも徐々に軌道に乗っていきます。 

亀谷平一(右)と登志(左)

日本経済が成長し、伊豆・箱根に観光客が増えるに従い、商家出身の登志は持ち前の才覚を発揮します。例えば、観光客向けの金山寺味噌にわさびの茎を入れ、木樽で包装して伊豆のお土産として売り出したところ、この商品が大ヒットします。その後、伊豆のわさびの生産者とも取引が広がり、わさび漬けの製造もこれを機会に手掛けるようになりました。 

カメヤ食品社名の由来

カメヤのカメは創業者の名字亀谷の亀から、ヤは屋号の屋から取りました。平一は、これからは横文字の時代だから横文字に似合うカタカナが良いと考え、カメヤ食品製造所と命名しました。 

また、登録商標である亀甲のマークですが、枠は亀の甲羅をイメージし、中の赤丸は日本の国旗から取って、息子である亀谷健(現会長)が20歳の頃デザインしたようです。 

カメヤのロゴマーク

色については創業当初は全て朱色でしたが、昭和51年に昭和天皇が沼津の御用邸にお見えになった際に、道路沿いの看板やのぼり等に赤を使用してはならないとのお達しがあり、全てを墨文字に変更しようとしたところ、登録商標を取るのであれば何色を使用していても問題ないことが判明し、あわてて全て朱色で商標登録をしたそうです。 

現在では、カメヤの商標は亀甲部分が墨、真ん中の丸の部分が朱色で、カメヤのブランドを象徴するデザインとなっております。 

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